世界の抹茶ブームと煎茶の危機

左:国際的なカフェで抹茶ラテを楽しむ人々、右:朝靄の茶畑で働く農家——抹茶ブームの光と影を描いたイラスト

最終更新:2026年8月

世界中で「Matcha」ブームが加速している。2025年、日本の緑茶輸出額はわずか1年で倍増し、過去最高の約721億円に達した。しかしその陰で、私たちが日常的に飲んでいた煎茶の価格が急騰し、廃業する製茶業者が過去最多を更新している。お茶屋として現場で感じているこのブームの実態と、日本茶文化の行方を率直に伝えたい。
第1章

数字で見る「抹茶」の記録的な躍進

農林水産省の統計によると、2025年の緑茶輸出額は前年から約357億円増加し、約721億円と6年連続で過去最高を更新した。増加率は実に98.2%——ほぼ倍増だ。輸出量全体の84%が抹茶を含む粉末状茶で、世界の「Matcha」需要が日本の茶産業を根本から塗り替えようとしている。

721億円 2025年 緑茶輸出額
(6年連続過去最高)
農林水産省 貿易統計
+98% 前年比増加率
(わずか1年で倍増)
農林水産省 貿易統計
84% 輸出額に占める
粉末状茶の割合
農林水産省 貿易統計
14件 2025年 製茶業の
廃業・倒産(過去最多)
帝国データバンク

主要輸出先を見ると、米国向けが293億円(前年比82.6%増)、英国向けが47億円(同403.9%増)と、欧州でのブームが突出している。英国の5倍超という数字は、抹茶がもはや一部の愛好家のものではなく、日常的な飲み物として市民権を得たことを意味する。

📝 なぜ「Matcha」は世界に受け入れられたのか 三つの力が重なった。ひとつは健康志向——抗酸化成分が豊富なスーパーフードとして高所得層に支持されている。ふたつめはスターバックスなど大手チェーンの定番化——「飲む」から「混ぜる・食べる原料」へと用途が広がった。三つめはSNS——あの鮮烈な緑色が「映え」の象徴となり、世界中に拡散された。この三つが同時に重なったことで、ブームは一過性の流行ではなく構造的な変化になっている。
第2章

産地は今、悲鳴を上げている

黒い覆いをかけた碾茶の茶畑で茶葉を手入れする農家のイラスト。背景に霞む山と五重塔。

碾茶(抹茶の原料)は、収穫前に覆いをかけて日光を遮断することで旨味を引き出す。この「被覆栽培」が煎茶より手間とコストを要する一方、取引価格は大きく上回る。

需要の急増は、産地に「過去最高の収益」と「未曾有の混乱」という矛盾した事態をもたらしている。農林中金総合研究所のデータによると、2024年時点で碾茶(抹茶の原料)の荒茶単価は煎茶の約2.7倍に達している。この価格差が農家の転作を一気に加速させた。碾茶の生産量はこの15年間で2.8倍に増加した一方、農林水産省の農林業センサスによると、茶を販売目的で栽培する農業経営体数は2015年から2020年のわずか5年間で約40%減少し、全国で5,827経営体まで落ち込んでいる。

しかし農業には物理的な壁がある。茶の木は新植から収穫まで最低でも5年以上を要する。需要がいくら爆発しても、畑はすぐに増やせない。宇治、西尾、八女といった主要産地で転作が進んでいるものの、供給は需要に追いつかず、在庫の枯渇が続いている。

転作にも高いハードルがある。碾茶を生産するには被覆資材のほか、専用の乾燥炉や粉砕設備が必要で、小規模施設でも数千万円単位の初期投資が求められる。高齢化と長年の国内需要低迷で資金力が乏しい中小農家にとって、この投資負担は事実上乗り越えられない壁だ。

静岡の茶市場では、本来廉価であるはずの「秋番茶」の取引単価が「一番茶(新茶)」を上回るという異常な価格逆転現象が報告されている。影響は生産現場だけでなく、私たちのような小売店にも直撃している。

煎茶・碾茶の荒茶単価比較(2024年)

出典:農林中金総合研究所「抹茶ブームと煎茶高騰」(2026年5月)/日本茶業中央会「茶関係資料」

0 1,000 2,000 3,000 4,000 円/kg 1,197円 煎茶 (荒茶単価) 3,278円 碾茶 (抹茶の原料) 2.7倍

価格差が農家の転作を加速させている

第3章

煎茶が割を食っている——お茶屋が感じる現実

抹茶ブームは、私たちお茶屋の日常を大きく変えた。一番わかりやすい変化は「安価なお茶が手に入らなくなった」ということだ。

農家の抹茶シフトや廃業・後継者不足が重なり、煎茶——とりわけ業務用の手頃なお茶——の供給が急激に細っています。仕入れ価格は1年で2倍以上に跳ね上がり、介護施設・病院・飲食店・旅館など、毎日大量のお茶を必要とする現場ほど深刻な打撃を受けています。当店としては値上げを最小限に抑え、できる限り利益率を削って対応していますが、すでに生産自体が終了したアイテムもあり、お求めやすい価格帯の商品が年々少なくなっているのが現状です。(みのり園)

帝国データバンクによると、2025年の製茶業の廃業・解散・倒産は14件と過去最多を記録した。増益企業が半数を超える一方、赤字企業も3割近くに達するという二極化が進んでいる。抹茶向け生産にシフトできた農家・製茶業者は恩恵を受けているが、煎茶を中心としてきた中小業者は「仕入れられない、値上げもできない」という板挟みに苦しんでいる。

日本の台所で急須と湯のみに煎茶を淹れた静かな朝の情景イラスト

急須で丁寧に淹れる煎茶。この日常の一杯が、今まさに失われようとしている。

背景にある構造的な問題がある。抹茶(碾茶)、玉露、煎茶、番茶はすべて同じ茶の木から作られる。栽培時の被覆の有無や加工法の違いで作り分けられるが、生産現場が収益性の高い碾茶へ一斉に傾斜したことで、煎茶用の茶葉の供給量が激減した。価格が高騰すれば、日常的に急須でお茶を淹れる習慣そのものが「贅沢」になりかねない。

📝 日本人が「お茶を飲まなくなった」もうひとつの事情 ペットボトル飲料メーカーも苦境に立たされている。原料価格の高騰により、商品価格の値上げ、中国・東南アジア産の安価な茶葉への切り替え、または終売——この三択を迫られているメーカーが相次いでいる。抹茶ブームの恩恵を受けているのは輸出側だけで、日本国内の「日常のお茶」は静かに追い詰められている。
第4章

世界に出回る「抹茶」の実態

左:茶道の点前で茶筅を使い抹茶を点てる場面、右:カフェカウンターに並ぶ抹茶ラテと商業用抹茶製品——伝統と商業化の対比イラスト

茶道で使われる「抹茶」は碾茶を石臼で挽いたもの。海外の「Matcha」製品の多くは、これとは品質が大きく異なる。

世界に出回っている「Matcha」の多くが、日本産の本物とはかけ離れた品質であることを知っておく必要がある。中国産や韓国産の安価な粉末緑茶が広く流通しており、原料・純度・流通段階・数量などの条件を揃えなければ日本産との価格比較は難しいが、価格差は大きくなる場合があり、知識のない消費者には区別がつかないことも多い。

ここで見落とされがちな重要な点がある。「セレモニアルグレード(儀式用)」という言葉は、商業的・マーケティング的な呼称として広く使われているが、私たちが確認した日本(JAS)・米国(USDA)の公的な品質規格においては、これに対応する国際共通の品質等級を確認できなかった。規格化されていない呼称のため、供給不足に乗じて加工用レベルの粉末が「セレモニアル」として流通しているケースも見られる。購入の際は、ラベルの呼称だけでなく、原産地・原材料・製法・検査記録を確認することをお勧めする。

また日本産の抹茶の中にも、グレードの違いがある。かつて茶道の点前で使われた「セレモニアルグレード」は旨味成分(テアニン)が豊富で、そのまま飲んで美味しいものだが、茶筅で点てて飲む習慣は日本国内でも今やごく限られた層のものだ。一般の消費者にとって「抹茶」とは、抹茶ラテ・抹茶スイーツ・抹茶アイスクリームといった甘い食べ物のフレーバーであり、その用途には渋味成分(カテキン)が強い「ラテ・バリスタグレード」の方がむしろ適している。高価なセレモニアルグレードをラテや菓子に使うのは最も高価なミスマッチだ。

世界市場で日本産抹茶が生き残るには、「どこで、誰が、どのように作ったか」というブランドストーリーと品質証明が不可欠だ。単なる「緑の粉末」との差別化がなければ、価格競争に巻き込まれるのは時間の問題である。

もうひとつ見落とされがちな問題がある。「抹茶」と「粉末茶」の混同だ。回転寿司店や飲食店に置いてある緑色の粉末茶は、仕入れ先や商品によって異なるが、碾茶を石臼で挽いた本来の抹茶ではなく煎茶ベースの粉末茶やブレンド品である場合が少なくない。海外の方がそれを「Matcha」だと思い込んでいるケースも多く、「日本で本物の抹茶を飲んだ」と誤解したまま帰国する可能性がある。この混同が広がるほど、本物の日本産抹茶のブランド価値は静かに損なわれていく。

京都の抹茶を仕入れること自体、今や非常に困難になりました。たとえ仕入れられたとしても価格が高く、利益がほとんど出ません。販売価格を上げれば大手との競争に負けてしまいます。そもそも抹茶は賞味期限も短く、一般消費者が毎日飲むものではないため、当店ではブームになる前から販売していませんでした。もはや一般の小売店が煎茶などと並べて売るようなものではなくなってしまいました。(みのり園)

第5章

抹茶ブームの陰で——煎茶が持つ本当の価値

左:霧の京都を歩く売茶翁のイラスト、右:現代の急須で煎茶を注ぐ手——18世紀と現代をつなぐ「お茶を淹れる」という実践

18世紀の京都で路上に茶を売り続けた売茶翁と、現代の台所で急須を傾ける手。時代を超えて、「一杯のお茶を丁寧に淹れる」という行為の本質は変わらない。

売茶翁が18世紀の京都の路上で一杯の煎茶を売り続けたのは、茶が「特別な場所」や「特別な作法」を必要とせず、誰もが日常の中で真理と向き合えるという思想からだった。急須でお茶を淹れ、ゆっくり飲む——その行為の中にある「間」と「静けさ」は、抹茶ラテとは根本的に異なる価値だ。

抹茶ブームが世界中に「日本茶」への関心を呼び起こした今こそ、煎茶の繊細な風味や、急須で淹れるという体験的な価値を発信するチャンスでもある。抹茶が「ファッション」なら、煎茶は「マインドフルネス」としての地位を確立できる可能性がある。

みのり園では、仕入れ価格の高騰が続く中でも、できる限り多くのお客様に本物の煎茶をお届けするため、利益率を抑えた価格設定を続けています。一杯の煎茶を急須で淹れる習慣を、これからも守り続けていきたい——それが私たちの願いです。(みのり園)

日本茶の未来は、抹茶一辺倒の供給体制にはない。煎茶・玉露・ほうじ茶を含めた多様性の中にこそ、日本茶文化の持続可能性がある。そのために私たちお茶屋にできることは、一杯の煎茶の価値を丁寧に伝え続けることだと思っている。

おわりに——急須で一杯、淹れてみませんか

抹茶ブームは、日本茶を世界に広める力となった。その事実は素直に喜ぶべきことだ。しかし、輸出の数字が上がるほど、国内の日常のお茶が失われていくという逆説は、茶業に携わる者として見過ごせない。

今日の一杯を、急須で淹れてみてほしい。それは単なる飲み物を超えて、300年以上前から続く日本のお茶文化を次の世代へとつなぐ、小さくて確かな行為だ。

本記事の統計データは、農林水産省、帝国データバンク、農林中金総合研究所の公開資料を参照しています。みのり園の業況に関する記述は、当社自身の経験に基づくものです。


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