紅茶の国の若者たちが東洋に見たもの
——60年代ロックとお茶のカルチャー交差点

リシケシュのアシュラム近くでアコースティックギターを弾く3人の若者のイラスト

▲ ヒマラヤの崖の上、マリーゴールドを飾りアコースティックに浸る若きスターたち

PROLOGUE

アコースティックの「静寂」へ——狂乱のスター、1968年の決断

1968年2月、厳しい寒さが残るロンドンから、世界で最も成功したポップスターたちが突如として姿を消した。ザ・ビートルズの面々である。彼らが降り立ったのは、きらびやかなステージでも、最先端の録音スタジオでもなかった。インド北部リシケシュ、ガンジス川を見下ろす高さ150フィートの崖の上に佇む、瞑想アシュラム(道場)だった。

20時間におよぶフライトの末、ニューデリー空港で彼らを迎えたのは、狂奔するメディアのカメラとマイク、そして首にかけられた赤と黄色のマリーゴールドの花輪(ガーランド)だった。

当時、ビートルズは過激な商業主義の荒波のただ中にいた。前年には精神的支柱であったマネージャーのブライアン・エプスタインを失い、メンバーの心は限界に達していた。ジョージ・ハリスンの強い信念に導かれるように、彼らはドラッグに代わる新たな精神的な道を模索し、超越瞑想(TM)の門を叩いたのである。

ジャングルの中に孤立したアシュラムには、シンガーソングライターのドノヴァン、ビーチ・ボーイズのマイク・ラブ、女優のミア・ファローなど、時代の最先端を走る若きスターたちが「スピリチュアルなドロップアウト」を求めて集まっていた。電子楽器に頼らない環境の中、アコースティックギターを中心とした素朴なセッションが繰り広げられた。

エレキの轟音を奪われたスターたちを待っていたのは、ただ瞑想し、お茶を飲み、自分自身と向き合うという、圧倒的な「静寂」の時間だった。しかし、この制約こそが、彼らの創造性を爆発させる。この地で、のちに歴史的名盤『ホワイト・アルバム』に結実する「Mother Nature's Son」や、のちに名曲「Jealous Guy」へと昇華する「Child of Nature」など、30曲以上(説によっては48曲ともいわれる)もの瑞々しい楽曲が生まれることとなる。

1964年バークレー校で演説するマリオ・サヴィオと聴衆のプラカードのイラスト

▲ マシーン(社会システム)への反抗を熱弁するマリオ・サヴィオ

01
CHAPTER ONE

システム(マシーン)からの離脱——「今ここ」に目覚める身体の反逆

1960年代後半、欧米の若者たちを突き動かしていたのは、画一化され、高度にシステム化された物質主義社会への強烈な嫌悪だった。彼らはこの冷酷な社会構造を「マシーン(機械)」と呼び、そこから自発的にドロップアウト(脱俗・離脱)することを選択した。

「機械(システム)の稼働があまりにも不快で、心底嫌気がさしたなら、あなたはその稼働に参加してはならない。自らの体を投げ打ってでも、機械を止めなければならないのだ」 —— マリオ・サヴィオ(1964年、バークレー校での演説より・意訳)

この「マシーン」に対する静かなる反逆として、若者たちが手を伸ばしたのが、西欧的な宗教制度にはない、東洋の「禅(Zen)」や「道教(Taoism)」の思想だった。そこには押し付けがましいドグマ(教条)はなく、ただ個人の内省と、日常の極めてシンプルな行為の中にこそ真理があるという教えがあった。

彼らにとって、一杯のお茶を淹れ、静かに飲むという身体行為は、単なる習慣ではなかった。それはマシーンのスイッチを一時的に切り、頭を支配する「騒音」を消し去るひとときだった。現代の言葉でいえば、そこには「マインドフルネス」にも通じる発想を見ることができる。

この「システムから身を引き、ただ一杯のお茶を淹れて自由に生きる」という精神的態度は、江戸時代に既成仏教の権威や格式張った茶の湯を嫌い、鴨川のほとりで煎茶を売りながら自由闊達に生きた日本の「売茶翁(ばいさおう)」の脱俗の精神と、時空を超えて驚くほど美しく共鳴している。

ロンドンのマクロビオティック・カフェSeedの店内で円卓を囲む若者たちのイラスト

▲ マクロビオティック・カフェ「Seed」で廃電線ドラムのテーブルを囲む若者たち

02
CHAPTER TWO

ロンドン「Seed」カフェ——格式高き紅茶への「静かなる反逆」

お茶の伝統が深く根付くイギリスにおいて、当時の若者たちにとって「英国紅茶(アフタヌーンティー)」は、伝統的な英国の生活様式や親世代の保守性を象徴する存在だった。紅茶は茶葉をしっかり発酵させて作る「発酵茶」であり、格式ある淹れ方や作法とともに発展してきた歴史を持つ。彼らはこれに対するカウンター(対抗)として、発酵させない東洋の「不発酵茶」——無糖の緑茶や番茶——を取り入れ、新しいライフスタイル、すなわち食や農、生活そのものの変革を始めた。

この潮流の先頭に立っていたのが、のちにイギリスのオーガニックフード界のレジェンドとなるクレイグ・サムズとグレゴリー・サムズの兄弟である。

クレイグ・サムズは1965年、のちに「ヒッピートレイル」と呼ばれる過酷なルートを旅していた。アフガニスタンのカブールに差し掛かった時、彼は重いアメーバ赤痢と感染性肝炎を患い、生死の境をさまよった。その窮地を救ったのは、現地のシンプルな民間療法——「無発酵の全粒粉フラットブレッド」と「砂糖を入れない濃いお茶(無糖茶)」だった。

この体験で「食事、お茶、そして身体の健康は表裏一体である」と確信したサムズは、仏教の菜食主義と東洋のお茶を融合させた「禅マクロビオティック」の思想に傾倒していく。ジョージ・オーサワ(桜沢如一)が提唱したこの思想では、不発酵の緑茶は身体を冷やす「陰」の性質が強いとされ、代わりにしっかり焙煎した三年番茶や玄米茶のような「陽」の性質を持つお茶が好まれる傾向にあった。

1967年末から1968年初頭にかけて、サムズ兄弟はロンドン・パディントン近くに、英国のマクロビオティック文化を切り拓いた先駆的なレストラン「Seed(シーズ)」をオープンした。

Seedは当時のロンドンのオルタナティブ・シーンの爆心地となった。その空間は既存の飲食店の常識を完全に破壊していた。椅子を排除し、使用済みの巨大な電線用木製リール(ケーブルドラム)を丸テーブルに仕立て、その周りにクッションを敷いて床に座るスタイルを採用したのである。

マクロビオティックの食事や日本由来の食文化を取り入れたこの空間で、ジョン・レノンとヨーコ・オノ、そしてマーク・ボラン(T・レックス)といった、時代の寵児たちが顔を合わせていた。実際、マーク・ボランがここでミッキー・フィンと出会い、のちにT・レックスを結成したことは、クレイグ・サムズ自身の証言でも語られている。

彼らは、イギリスの伝統的な「椅子と高いテーブル」を捨て、床に低く座って一杯のお茶を分かち合うことで、社会のルールを身体から拒絶し、フラットで平穏な人間関係を再構築しようとしていたのである。

1968年リシケシュのアシュラム、屋上でギターを弾く2人のイラスト

▲ ヒマラヤ山脈の夕暮れ、コテージの屋上で繰り広げられる静かなセッション

03
CHAPTER THREE

リシケシュの屋上、プラグを抜いたセッション——静寂が生んだ『ホワイト・アルバム』

ヒマラヤ山脈の麓、ヨガの聖地リシケシュ。マハリシのアシュラムは、ガンジス川を見下ろす150フィートの崖の上、深い緑に包まれた静かな場所にあった。

世界中から富と名声を集めたポップスターたちは、速度を増し続けるエンターテインメント界の狂騒からドロップアウトするように、この隔離された聖地へと集まった。

アシュラムでの日常生活は、驚くほどストイックで素朴だった。電気ヒーターや温水など、西洋人向けの最低限の設備はあったものの、基本は毎日の瞑想とマハリシの講義に捧げられた。食事はすべてベジタリアン。炭火で焼いたパンやスパイスを効かせたナスなどを共同の食堂で食べ、スターたちはお茶を飲みながら、自らの内面へと深く潜り込んでいった。

「僕たちは、夢に見るようなすべてのお金を手に入れた。望みうるすべての名声も得た。でも、それらは本当の『愛』でもなければ『健康』でもない。心の中の『平和』でもないんだ」 —— ジョージ・ハリスン(1968年リシケシュ滞在時の発言より・意訳)

この「プラグを抜いた環境」は、彼らの創造力を劇的に研ぎ澄ました。アシュラムには電子アンプもエレキギターもなく、彼らが手にしたのは素朴なアコースティックギターや現地の民族楽器だけだった。ドラムセットを持たない彼らは、手拍子やテーブルを叩くリズム、そして静寂そのものを音楽に変えていった。

夕暮れ時、アーティストたちはコテージの屋上に集まり、眼下を流れるガンジス川の静かなせせらぎに耳を澄ませた。アコースティックギターを爪弾き、お茶を飲みながら、ドノヴァンがビートルズの曲を歌えば、ポール・ホーンがフルートを重ねる。そんな素朴なセッションが繰り返された。

ドノヴァンはジョン・レノンに、指先で弦を優しく弾く「フィンガー・ピッキング(スリーフィンガー)」の技法を伝授した。ジョンはこの技術をまたたく間に吸収し、亡き母に捧げた「Julia」や、部屋に引きこもって瞑想に耽っていたプルーデンス・ファローを外に連れ出すために書いた「Dear Prudence」を生み出す。

ポールの傑作「Mother Nature's Son」も、マハリシの講義とリシケシュの豊かな自然の静寂から生まれたものだった。ジョンもまた同じ講義に着想を得て「Child of Nature」を書いたが、こちらはアルバム未収録のままお蔵入りとなり、3年後の1971年、歌詞を全面的に書き改めた「Jealous Guy」としてソロアルバム『Imagine』で日の目を見ることになる。これらの楽曲群は、それまで彼らが築き上げてきた極彩色で過剰なサイケデリック・ロックの喧騒とは対照的な、素朴で飾り気のない内省的な美しさを宿していた。結果として、ビートルズはここで30曲以上(説によっては48曲ともいわれる)もの新曲を書き上げ、その多くがのちに歴史盤『ホワイト・アルバム』として結実させることとなる。

スマートフォンの横でお茶を淹れる現代の若者のイラスト

▲ 朝の柔らかな光の中、スマートフォンの画面を伏せてお茶を淹れる、現代の若者

04
CHAPTER FOUR

なぜ「お茶」だったのか——静けさを求める者たちの、変わらぬ選び方

ここまで見てきた通り、お茶が彼らの創造性や精神性を「もたらした」と証明する一次資料はどこにもない。しかしそれでも、マリオ・サヴィオの聴衆にも、Seedの円卓にも、リシケシュのアシュラムにも、判で押したように「お茶」があった。これは偶然だろうか。

コーヒーではなく、酒でもなく、なぜ彼らは繰り返しお茶を選んだのか。手がかりは、お茶という飲み物が持つ、いくつかの性質にあるように思える。

実際、お茶に含まれるアミノ酸「L-テアニン」については、カフェインとは異なる形で穏やかな集中状態をもたらす可能性が、複数の研究で報告されている。もちろんこれは現代の研究知見であり、当時の若者たちがそれを知っていたわけではない。ただ、コーヒーの刺激とは違う何かをお茶に感じ取っていたのだとすれば、それは思い込みだけではなかったのかもしれない。

まず、お茶は「時間」を強制する。豆を挽いてすぐ飲めるコーヒーと違い、茶葉を蒸らし、湯温を待つという工程には、否応なく数分の間(ま)が生まれる。マシーンのスピードに抗おうとした者たちにとって、この「待たされる時間」自体が、ある種の抵抗のポーズだったのかもしれない。

次に、お茶は「身体」を伴う。Seedの円卓のように、低い椅子に座り、両手で碗を包み、湯気を待つ。この一連の所作は、頭で考える瞑想とは違い、身体そのものを使う儀式である。禅や東洋思想が重んじた「日常のシンプルな行為の中にこそ真理がある」という発想と、お茶を淹れるという行為は相性がよかった。

そして、お茶は「対話」を促す。ケーブルドラムを囲んだSeedの若者たちも、屋上でギターを爪弾いたリシケシュの面々も、一人でグラスを傾けるのではなく、碗を回し合いながら言葉を交わしていた。酒のように理性を溶かすのではなく、頭を冴えさせたまま人と向き合える飲み物として、お茶はその場にあった。

「時間」「身体」「対話」。お茶が持つこの3つの性質は、驚くほど今も色褪せていない。半世紀後の現代、欧米の若者たちの間でお茶を選ぶ人が増えているのも、単なる健康志向のトレンドという以上に、どこかに同じ理由があるのかもしれない。忙しない日常の中で、あえて手間のかかる一杯を選ぶ。その時間だけは、「マシーン」の速度から離れ、自分自身に戻ることができる。

湯気の立つ茶碗と開いた本を描いた水墨画風のイラスト

▲ 世俗の喧騒からドロップアウトし、自分だけの静けさと出会うための、お茶というパスポート

EPILOGUE

日常の中に潜む「脱俗のパスポート」

1960年代のポップスターたちがエレキギターのプラグを抜き、ヒマラヤの静寂の中でアコースティックギターを奏でながら瞑想の合間にお茶をすすった時間。

そして現代の若者たちが、デジタルの喧騒を数分間だけ遮断し、急須で丁寧に煎茶を淹れる時間。

半世紀以上の時を隔てた二つのムーブメント。形こそ違えど、人間が本来持っている「内面の調和」と「平穏な静寂」を取り戻そうとする姿には、どこか共通するものがあるように思える。

18世紀、世俗的な権威やお茶の利権にまみれた社会を嫌い、誰もがフラットにお茶を楽しめるように京都の鴨川のほとりで煎茶を売り歩いた売茶翁は、まさに自らのライフスタイルを通じて「システムからのドロップアウト(脱俗)」を体現した先駆者だった。

もちろん、売茶翁と60年代のカウンターカルチャーを直接結ぶ歴史的な線があるわけではない。ただ、「既成の価値観から距離を置き、身近な一杯のお茶を通して人と人が対等に向き合う」という姿には、時代を超えた不思議な共通点を見いだせるのではないだろうか。1960年代のロンドンで「廃電線ドラムの丸テーブル」を囲んで語り合ったジョン・レノンやクレイグ・サムズたちの姿にも、そして現代、都会の喧騒の中で急須を傾ける若者たちの朝のルーティンにも。

社会が「より速く、より多く、より効率的に」と私たちを駆り立てるマシーンである限り、私たちはいつでも、そのプラグを抜いて自らの中心に戻るための手段を必要としている。

お茶を淹れ、静かに飲むという極めて日常的な身体行為。それは、どれほど時代が進もうとも、私たちがいつでも世俗の喧騒からドロップアウトし、自分だけの静けさと出会うことができる、最も身近で美しい「脱俗のパスポート」なのである。

🍵 あなたの「脱俗のパスポート」を、みのり園で

60年代のマクロビオティック文化が大切にした、砂糖に頼らないシンプルな食とお茶。そして現代の私たちが、忙しい合間に淹れる何気ない一杯。時代は変わっても、「お茶をゆっくり味わう」時間には共通するものがあります。

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参考資料
・Craig Sams / Gregory Samsによる回想(インタビュー記事・本人ブログ)
・The Beatles Bible、Beatles関連資料
・マリオ・サヴィオ「Bodies Upon the Gears」演説(1964年、UCバークレー)
・L-テアニンに関する複数の学術研究
・売茶翁に関する既存研究
※本記事は史実・当事者の証言をもとに、みのり園編集部の解釈を交えて構成しています。一部の情景描写にはイメージが含まれます。
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